アラビアのロレンス Lawrence of Arabia Part3

◆アラビアのロレンス Lawrence of Arabia   Part3

  1962年 イギリス映画 (カラー)

「どうやって、こんな偉大な映画を作ることができたのだろう。
 これはまぎれもなく映画界の宝だ。」

上の言葉は、ある映画雑誌の記事で読んだ記憶がある。
多分、ジョージ・ルーカスかS・スピルバーグのどちらかだったと思う

こんな言葉がまったくあてはまるこれは偉大な映画である。

◆見どころ

主人公T.E.ロレンスは必ずしもアラブ独立という純粋な動機だけで
このゲリラ作戦を決行したわけではない。

少なくとも、この映画はそう描いています。

ロレンスには、彼の複雑な生い立ちからくるコンプレックスが存在
していた。
(自叙伝 アラビアのロレンスを読んだ限りではそう想像できます。)

そして、そのコンプレックスはトルコ軍からの拷問によってより一層
病的に加速していきます。
(ロレンスを研究するグループによると、この時の拷問には性的虐待も
 含まれていたことが述べられています。)

そのコンプレックスや功名心が常に彼の行動の意識下にあったのであり
この強い自意識が、根本の要因の一つであるようにも描かれています。

この人間性の描写が深いからこそ、この作品が単なる英雄的な行動の
ヒロイズム表現のヒーロー映画とは程遠い作品になっているのです。

◆俳優 ピーター・オトゥール

主人公 T.E.ロレンスを演じた彼は、監督ディヴィット・リーンの演技指導の
もと、この複雑な人間像をほぼ完璧に表現しました。

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【ロレンスを演じたピーター・オトゥール】

俳優の演技というものが、監督の指導のもとに芸術的なまでに高められていく
ことが証明された稀有な例が、この作品のロレンス像です。

また、逆を言うとディヴィット・リーンはピーター・オトゥールという素材と出会った
からこそ、これだけの人物像を創造できたのでしょう。

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【名匠 デヴィット・リーン監督】

彼のファナティックな人物像は、ロレンスがアカバ進攻中に落伍したアラブ人を
助けに行くエピソード、しかしその折角助けたアラブ人をアラブ民族の衝突の
和解のために自らの手で射殺しなければならなくなった時の表情、またアカバ
占領の司令部報告のために、砂漠を横断中、従者のアラブ少年の一人を砂地獄で
失うエピソードなどに見ることができます。

愛する者を失う悲しみと、愛する者の死を見届ける時に彼の表情に浮かぶ
一種の陶酔感的な感情が、観客にロレンスという人物の異様さを与えるシーンです。

名監督リーンは、ピーター・オトゥールという未知数の素材を120%引き出しました。
この一作で、ピーター・オトゥールの役者的生命力が使い果たされてしまった。
アラビアのロレンス以降のオトゥールが、どこか精気がないように感じられるのは
そのためでは ないでしょうか。

◆主なスタッフとキャスト

スタッフ

監督・・・・デヴィッド・リーン
原作・・・・トマス・エドワード・ロレンス『智恵の七柱』
脚色・・・・ロバート・ボルト/マイケル・ウィルソン
音楽・・・・モーリス・ジャール、
編曲・・・・ジェラルド・シュルマン
撮影・・・・フレデリック・A・ヤング、スキーツ・ケリー、ニコラス・ローグ、ピーター・ニューブルック
美術・・・・ジョン・ボックス
衣装・・・・フィリス・ダルトン
製作・・・・サム・スピーゲル

キャスト

ピーター・オトゥール・・・トーマス・エドワード・ロレンス
アレック・ギネス・・・・・・ファイサル王子
アンソニー・クイン・・・・・アウダ・アブ・タイ
オマー・シャリフ・・・・・・ハリス族首長アリ
ジャック・ホーキンス・・・アレンビー将軍
アーサー・ケネディ・・・・ジャクソン・ベントリー アメリカの新聞記者
アンソニー・クェイル・・・・ブライトン大佐
ホセ・フェラー・・・・・・・・ベイ トルコ軍司令官
クロード・レインズ・・・・・ドライデン

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アラビアのロレンス Lawrence of Arabia Part2

◆アラビアのロレンス Lawrence of Arabia   Part2

  1962年 イギリス映画 (カラー)

「どうやって、こんな偉大な映画を作ることができたのだろう。
 これはまぎれもなく映画界の宝だ。」

上の言葉は、ある映画雑誌の記事で読んだ記憶がある。
多分、ジョージ・ルーカスかS・スピルバーグのどちらかだったと思う

こんな言葉がまったくあてはまるこれは偉大な映画である。

◆見どころ

きびしい,荒涼とした,言語を絶する砂漠の美の世界が,ロレンスの内なる
情熱とともに展開する前半と、ロレンスの理想と情熱がアラビアの利権を
手に入れんとする巨大な権力の歯車に押しつぷされていく後半が,70ミリの
大画面で最大級のドラマとして結実している。映画としても類のない壮観を
呈した傑作。

このような賛辞が、数多く与えられたまことに見ごたえのあるドラマです。

今回、久しぶりに「アラビアのロレンス完全版」を観てみましたがやはり
映像的には、すこぶる優れている作品だと改めて実感しました。

撮影はフレデリック・A・ヤングという名カメラマンですが、アラビア現地ロケの
カラー撮影が特筆されます。特にハリス族の首長アリが表れるかげろうのような
シーンは70ミリの特質を生かした歴史に残る名シーンとされています。

しかし、この映画があまりに世界的に高い評価を得たためにアラブ民族を描く
エピソードに非難があったことも事実です。

そもそも、この争いは第1次大戦当時、アラブ世界の広大な土地がトルコの
支配下にあったことに端をはっしています。当時、トルコはドイツを支持していた
ため、イギリスはドイツへの牽制の意味でアラブの独立運動を支援する側に
まわったわけです。しかし、結局はトルコに変わってアラブを支配したにすぎません
でした。

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【トルコ軍の列車の上で手を振るロレンス】

結局は、当時の大国のナワバリ争いに過ぎなかったわけです。

アラブ民族会議のエピソードなどに見られるアラブ人の描き方はまるで大国の
指導がなければ愚かな民族間の争いを繰り返す人々と思われかれない部分も
存在しているわけです。

まして、監督は同じイギリス人のデヴィット・リーンです。このような非難があっても
不思議ではありません。

しかし、こういった非難を肯定してもこの映画は素晴らしく面白いのです。

確かに経済大国が作る自国の英雄を描いた映画ですから、多分に製作国よりの
描写になるのはやむをえませんが、この映画にはロレンスという主人公を描いて
イギリスの自己批判という部分も存在しているからです。

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【アラブ軍の行軍シーン】

続きは、Part3で

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アラビアのロレンス Lawrence of Arabia Part1

◆アラビアのロレンス Lawrence of Arabia

  1962年 イギリス映画 (カラー)

「どうやって、こんな偉大な映画を作ることができたのだろう。
 これはまぎれもなく映画界の宝だ。」

上の言葉は、ある映画雑誌の記事で読んだ記憶がある。
多分、ジョージ・ルーカスかS・スピルバーグのどちらかだったと思う

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【映画タイトルシーン】

こんな言葉がまったくあてはまる偉大な映画である。

◆ストーリー

1935年5月13日、T・E・ロレンスはイギリスの田舎道でオートバイの
ハンドル操作を誤まり、林のなかへ突っこんで,19日に他界した。

葬儀のとき、「彼は偉大だった。」、「いや、彼は売名家にすぎない。」
「とんでもないやつ」と、彼への評価はわかれた。

1916年、イギリス陸軍のカイロ司令部でロレンス少尉は軍の上層部からは
異端者としての扱いだった。

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【マッチの火を指で消すロレンス】

そんなロレンス少尉(ピーター・オトゥール)に、トルコに対して反乱を起こした
アラビアの状況を調べるため、反乱軍を指揮するファイサル王子(アレック・ギネス)に
探し、情報を得るよう命令が下される。

司令部の仕事に飽き飽きしていたロレンスはさっそく出発するのであった。
焼けつくような砂漠。ラクダにのったロレンスはゾッとするほど美しいカープを描く砂漠の
稜線をガイドと進んで行く。

砂漠の大平原のなかにポツンと井戸があり,そこで休んでいたとき,はるかかなたの
地平線上にゴマツブのように小さな黒いかげが浮かんだ。ものすごい熱気のため
かげろうのようにゆれ動きながら、その黒い影はすこしずつ近づいてくる。

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【近づいてくる人物を見つめるロレンスとガイド】

ロレンスのガイドは、それを見て銃を構えたが、わずかに早く黒い影のライフルが火を吹いた。
真黒いアラビア服をきて黒いヒゲをはやしたハリス族の首長は、自らアリ(オマー・シャリフ)と
名乗り、あんたの雇ったガイドはこの井戸がハリス族の井戸と知ってて水を盗んだ、
だから殺されても文句は言えないとロレンスに告げるのだった。

ファイサル王子の陣地まで案内しようという、アリの申し出を断り、ロレンスはひとり旅を
つづけていく。ファイサルの陣営に着くと、ファイサルは、トルコ軍の近代兵器の攻撃に
手をこまねいていた。

「反乱軍は、飛行機にラクダで立ち向かうようなことはせず,行動力を生かしてゲリラ戦術に
 徹するべきだ」と進言するロレンス。彼の進言はアラブを支配しようとするイギリスにとっては
不利となる進言だった。

彼はシナイ半島南端のトルコ軍の要塞アカバを,背後から攻撃する計画を立てる。
しかし、それにはアラブ人でさえ恐れる熔鉱炉と呼ばれる灼熱の砂漠を縦断する必要があった。
ファイサルはアリを指揮官とする手兵を与えて行動の自由を許す。

灼熱地獄を進行するアラブ軍。途中あまりの過酷さに逃げ出したアラブ人をロレンスは
助けに一人引き返す。その行動と彼の強靭な意志力がアラブ人の信頼をかちえた。

作戦は、見事成功しカイロに着任したばかりの新司令官アレンピー将軍
(ジャック・ホーキンズ)はロレンスの功績をほめ,今後いかなる援助も惜しまぬと
約束する。

「エル・オレンス」とアラブ人から敬称で呼ばれるようになったロレンスのゲリラ行動は
その後も成功をおさめ、次第にロレンス自身も、自分は英雄なのだと思い込んでしまう。

その英雄意識うえに、ロレンスはトルコ軍が支配する町に潜入するが、トルコ軍に
捕えられ,司令官(ホセ・フェラー)からものすごい拷問と恥辱を受けてしまう。

彼の英雄意識は、崩壊しイギリスへの帰国を要望する。しかし周囲はロレンスを
すでに平凡な人間としてはあつかってくれなかった。アラビアでの軍事的優位を確保
するためにも、まだまだ彼を利用する必要があったのである。

アメリカ人新聞記者(アーサー・ケネディー)は彼の゛英雄的行為、をつまびらかに
報道し、アレンビー将軍はアラブ人が彼に寄せる信頼を最大限に利用しようとする。

アラブ人のためにというアレンビーの巧みな誘いに乗り、ロレンスは再度アラブ軍の
先頭に立つ。イギリス軍のダマスカス攻略に加わってイギリス軍より先にダマスカスを
占領したアラブ軍。ロレンスは、アラブ民族合議を作りアラブ民族の独立を図ろうとしたが
彼の純粋な情熱は、部落間の愚劣きわまりない対立によってぶざまに裏切られていく。

志破れたロレンスはアラビアを去って行く。アレンピー将軍の立場からいえば,彼はすでに
役目を果たした無用の長物であった。

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ディア・ハンター The Deer Hunter Part2

◆ディア・ハンター The Deer Hunter  Part2

◆見どころ

ラスト・シーンで、スラヴ式の葬式後友人の酒場でマイクルたちが
合唱する “神よアメリカに祝福を” のつらさ、亡くなった友人を
しのびながら苦い笑みを浮かべるしかないラストは鮮烈で比類が
ありません。

この大作のラストを飾るにふさわしい名ラストシーンです。

この映画は、戦場に行く前、戦場、復帰後 と大きく3つのパートに
わかれています。
なかでも、戦場に行く前のパートは、彼らの悲劇性を表すかのように
丹念に長時間を かけて描かれています。特に結婚式のシーンは
なぜこんなに長いのかと思わせますが、アンジェラの衣装についた
一滴の赤ワインで以後の悲劇がわかるようになっています。

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ロバート・デニーロはこの映画以前も数々の名演技を見せてくれた
名優ですが、この「ディア・ハンター」では、また一段高い境地へ
登ったといえる性格描写を やりとげています。

もちろんこれは彼だけの力ではなく、共演したメリル・ストリープ
クリストファー・ウォーケン、ジョン・サベージ、ジョン・カサールたちとの
コンビネーションが素晴らしかったことが大きな要因となっています。
クリストファー・ウォーケンは、この映画でアカデミー助演賞を受けました。


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◆当時の印象的批評

『ディア・ハンター』は70年代初期の映画のような破壊力がある。
この苛酷な暴力、3時間におよぶヴェトナム伝説は、ある時代のモラルと
観念的な思考をぶち壊す。観客を地獄に突き落とし、地図のないところへ
座礁させる。(略)これは政治的な側面から解放されたヴェトナムに関する
最初の映画である。

けっきょく、ここには反戦主義者はいないし、戦争に行く者は政治に無関心で、
歩兵となり、アジア人殺しにとりつかれたりはしない。この映画は『グリーン・ベレー』と
ちがうように、『帰郷』ともちがうのだ。チミノは、合衆国が南アジアでやった悲しむべき
矛盾すべてをつつみこもうとしたのだった。

(フヲンク・リッチ/タイム誌・78年12月18日号)

◆主なスタッフとキャスト

スタッフ

製作・・・・・・バリー・スパイキングス、マイクタ・ディーリー、マイクル・チミノ
脚本・・・・・・デリック・ウオッシュパーン
撮影・・・・・・ヴィルモス・ジグモンド
音楽・・・・・・スタンリー・マイヤーズ
ギター演奏・ジョン・ウイリアムズ

キャスト

ロバート・デニーロ・・・・・・・マイクル
クリストファー・ウォーケン・・ニック
ジョン・サベージ・・・・・・・・・スティーヴン
ジョン・カザール・・・・・・・・・スタン
メリル・ストリープ・・・・・・・・リンダ
チャック・アスペグラン・・・・アクセル


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ディア・ハンター The Deer Hunter Part1

◆ディア・ハンター The Deer Hunter  Part1

1978年 アメリカ映画 (カラー)

ベトナム戦争の本質をゆがめたとの批判、抗議デモなども
あったが、マイクル・チミノの描いたものは鮮烈的であり
衝撃的な映画だった。

◆ストーリー

ペンシルバニア州クレアトン。小さな町でほとんどがスラヴ系の住人たちが
形成されている鉄鋼の町だ。マイクル、ニック、スティーヴン、スタン、そして
アクセルの五人は、地元の製鋼所につとめる仲間同士だった。

1968年、初冬のある土曜日。教会では賑やかな式典が行なわれていた。
スティーヴンとアソジェラの結婚式だ。そして、ベトナムに徴兵されることが
決まったマイクル、ニック、スティーヴンの歓送会も兼ねているのだった。

スラヴ系の民族舞踊と音楽は、いつまでも鳴りやまなかった。

式場に一人のグリーンーベレーの男があらわれた。戦場での様子を聞こうと
話しかけたマイクルに、浴びせかけられた言葉は、「クソったれ」の一言だった。
男に殴りかかろうとするマイクル、それを止めるニックとスタン。

結婚式は佳境を迎え、スティーヴンと新婦アンジェラが赤いブドウ酒を飲み干す
儀式がおこなわれる。1滴も残さず飲み干せば、それは二人に幸福が訪れると
いうしるしなのだ。だが、アンジェラの衣装には、人知れずたった1滴のしずくが
たれていた。

式が終わると、残った仲間たちはマイクルを中心に最後の鹿狩りに出かけることになった。
クレアトンの町を囲むアレゲニー山脈。遊び場の少ないこの地方の若者たちにとって鹿狩り
は唯一の剌激だった。

なかでも、マイクルにとって鹿狩りは単なるゲームではなかった。彼にとっては偉大な鹿と
戦う一発必中の真剣勝負なのだ。だからマイクルにとって信頼できる鹿狩りの友はニック
しかいなかった。他の仲間は鹿狩りをお遊びとしか思っていなかったのだ。

最後かも知れない鹿狩りで、獲物をしとめたのは、マイクル1人だった。しかも1発だった。

舞台は変わって北ベトナム。すさまじい戦火をくぐり抜け、ベトコンと戦う一人のアメリカ兵士がいた。
マイクルである。泥まみれになったその顔の奥には、かってのあたたかい眼差しはなかった。

そののとき、米軍ヘリが近づいてきた。着陸したヘリからはニックとスティーヴンたち散人の兵士が
降り立った。二人はマイクルに気づくが、マイクルの表情は硬かった。ここは最激戦地で再会を
喜びあっている暇などはなかった。敵は、もう目と鼻の先まで来ていたからだ。

三人はベトコンの捕虜となった。川岸に木で組んだ小屋があり、三人はその床下の檻のなかに
閉じこめらる。檻のなかには、同胞の南ベトナムの兵士たちも混じってた。

敵の兵士たちは退屈をまぎらわすために、捕虜たちにロシアン・ルーレットをやらせて賭けていた。
ロシアン・ルーレットとは、リボルバーのなかに1発だけ弾丸をこめ、モれをテーブルの上でまわして
銃口の向いた者が自分のこめかみに銃を向けて引き金を引く、という死のゲームだ。

弾倉のどこに弾丸が入っているかわからない。もしも、空撃ちであれば、次の者に順番がまわっていく。
兵士の賭けた捕虜に弾丸が入っていれば、その者が賭け金を貰う権利があるのだ。

銃声があがるたびに、ヒクヒクと顔をひきつらせるスティーヴン。マイクルとニックが、発狂寸前の
彼をかろうじてとり押さえている。しかし、三人にもやがて順番はまわってきた。

マイクルは、イチかバチか勝負をかけることをニックに告げる。弾丸をよけいにこめてくれとベトコンの
兵士に願い出て、それで勝負にでようというのだ。自分たちがやられる可能性は高くなるが、もし万が一
すきに乗じてベトコンの兵士に銃を構えるチャソスがあれば、相手を倒す可能性も高くなるのだ。

チャンスはなかなか訪れなかった。ついにマイクルのところに順番がまわってきた。恐怖におののく
ニックを励ましながら、彼らはついにベトコン兵士のにすきをつき、マイクルはみごと敵をしとめた。

三人は、脱出に成功した。木につかまりながら、川を尻れる途中、米軍のヘリに発見され救助されたが

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力つきたスティーヴンは川のなかへ落ちていった。あとを追うマイクル。ニックだけは、ヘリで運ばれていく。
三人は、そこで別れ別れとなった。

1年後、サイゴソの軍人病院を退院したニックは、昔の優しいニックでなかった。別人のように戦火の街を
さまよう彼は、恐怖と孤独のあまり、精神障害をきたし、完全に自己認識ができなくなっていたのだ。
自分の母親の生年月日すら思い出せないのだ。そんな彼が自分を見いだす方法は、闇で行なわれる
ロシアン・ルーレットだけしかなかった。

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それから2年後、マイクルは、グリーン・ベレーとしてクレアトンの土を踏んだ。あの結婚式のときの
グリーン・ベレーの言葉が、いまはマイクルにも理解できるような気がした。

誰かにベトナムはどうだった?と聞かれれば、「クソったれ」としか言えない・・・・。

マイクルを町の仲間や友人たちはあたたかく迎えたが、もうマイクルから昔の明るさは消えていた。
今の彼には、戦場で生き別れになったスティーヴンとニックの消息が唯一の気がかりだった。

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