July 11, 2009
ディア・ハンター The Deer Hunter Part1
◆ディア・ハンター The Deer Hunter Part1
1978年 アメリカ映画 (カラー)
ベトナム戦争の本質をゆがめたとの批判、抗議デモなども
あったが、マイクル・チミノの描いたものは鮮烈的であり
衝撃的な映画だった。
◆ストーリー
ペンシルバニア州クレアトン。小さな町でほとんどがスラヴ系の住人たちが
形成されている鉄鋼の町だ。マイクル、ニック、スティーヴン、スタン、そして
アクセルの五人は、地元の製鋼所につとめる仲間同士だった。
1968年、初冬のある土曜日。教会では賑やかな式典が行なわれていた。
スティーヴンとアソジェラの結婚式だ。そして、ベトナムに徴兵されることが
決まったマイクル、ニック、スティーヴンの歓送会も兼ねているのだった。
スラヴ系の民族舞踊と音楽は、いつまでも鳴りやまなかった。
式場に一人のグリーンーベレーの男があらわれた。戦場での様子を聞こうと
話しかけたマイクルに、浴びせかけられた言葉は、「クソったれ」の一言だった。
男に殴りかかろうとするマイクル、それを止めるニックとスタン。
結婚式は佳境を迎え、スティーヴンと新婦アンジェラが赤いブドウ酒を飲み干す
儀式がおこなわれる。1滴も残さず飲み干せば、それは二人に幸福が訪れると
いうしるしなのだ。だが、アンジェラの衣装には、人知れずたった1滴のしずくが
たれていた。
式が終わると、残った仲間たちはマイクルを中心に最後の鹿狩りに出かけることになった。
クレアトンの町を囲むアレゲニー山脈。遊び場の少ないこの地方の若者たちにとって鹿狩り
は唯一の剌激だった。
なかでも、マイクルにとって鹿狩りは単なるゲームではなかった。彼にとっては偉大な鹿と
戦う一発必中の真剣勝負なのだ。だからマイクルにとって信頼できる鹿狩りの友はニック
しかいなかった。他の仲間は鹿狩りをお遊びとしか思っていなかったのだ。
最後かも知れない鹿狩りで、獲物をしとめたのは、マイクル1人だった。しかも1発だった。
舞台は変わって北ベトナム。すさまじい戦火をくぐり抜け、ベトコンと戦う一人のアメリカ兵士がいた。
マイクルである。泥まみれになったその顔の奥には、かってのあたたかい眼差しはなかった。
そののとき、米軍ヘリが近づいてきた。着陸したヘリからはニックとスティーヴンたち散人の兵士が
降り立った。二人はマイクルに気づくが、マイクルの表情は硬かった。ここは最激戦地で再会を
喜びあっている暇などはなかった。敵は、もう目と鼻の先まで来ていたからだ。
三人はベトコンの捕虜となった。川岸に木で組んだ小屋があり、三人はその床下の檻のなかに
閉じこめらる。檻のなかには、同胞の南ベトナムの兵士たちも混じってた。
敵の兵士たちは退屈をまぎらわすために、捕虜たちにロシアン・ルーレットをやらせて賭けていた。
ロシアン・ルーレットとは、リボルバーのなかに1発だけ弾丸をこめ、モれをテーブルの上でまわして
銃口の向いた者が自分のこめかみに銃を向けて引き金を引く、という死のゲームだ。
弾倉のどこに弾丸が入っているかわからない。もしも、空撃ちであれば、次の者に順番がまわっていく。
兵士の賭けた捕虜に弾丸が入っていれば、その者が賭け金を貰う権利があるのだ。
銃声があがるたびに、ヒクヒクと顔をひきつらせるスティーヴン。マイクルとニックが、発狂寸前の
彼をかろうじてとり押さえている。しかし、三人にもやがて順番はまわってきた。
マイクルは、イチかバチか勝負をかけることをニックに告げる。弾丸をよけいにこめてくれとベトコンの
兵士に願い出て、それで勝負にでようというのだ。自分たちがやられる可能性は高くなるが、もし万が一
すきに乗じてベトコンの兵士に銃を構えるチャソスがあれば、相手を倒す可能性も高くなるのだ。
チャンスはなかなか訪れなかった。ついにマイクルのところに順番がまわってきた。恐怖におののく
ニックを励ましながら、彼らはついにベトコン兵士のにすきをつき、マイクルはみごと敵をしとめた。
三人は、脱出に成功した。木につかまりながら、川を尻れる途中、米軍のヘリに発見され救助されたが
力つきたスティーヴンは川のなかへ落ちていった。あとを追うマイクル。ニックだけは、ヘリで運ばれていく。
三人は、そこで別れ別れとなった。
1年後、サイゴソの軍人病院を退院したニックは、昔の優しいニックでなかった。別人のように戦火の街を
さまよう彼は、恐怖と孤独のあまり、精神障害をきたし、完全に自己認識ができなくなっていたのだ。
自分の母親の生年月日すら思い出せないのだ。そんな彼が自分を見いだす方法は、闇で行なわれる
ロシアン・ルーレットだけしかなかった。
それから2年後、マイクルは、グリーン・ベレーとしてクレアトンの土を踏んだ。あの結婚式のときの
グリーン・ベレーの言葉が、いまはマイクルにも理解できるような気がした。
誰かにベトナムはどうだった?と聞かれれば、「クソったれ」としか言えない・・・・。
マイクルを町の仲間や友人たちはあたたかく迎えたが、もうマイクルから昔の明るさは消えていた。
今の彼には、戦場で生き別れになったスティーヴンとニックの消息が唯一の気がかりだった。
1978年 アメリカ映画 (カラー)
ベトナム戦争の本質をゆがめたとの批判、抗議デモなども
あったが、マイクル・チミノの描いたものは鮮烈的であり
衝撃的な映画だった。
◆ストーリー
ペンシルバニア州クレアトン。小さな町でほとんどがスラヴ系の住人たちが
形成されている鉄鋼の町だ。マイクル、ニック、スティーヴン、スタン、そして
アクセルの五人は、地元の製鋼所につとめる仲間同士だった。
1968年、初冬のある土曜日。教会では賑やかな式典が行なわれていた。
スティーヴンとアソジェラの結婚式だ。そして、ベトナムに徴兵されることが
決まったマイクル、ニック、スティーヴンの歓送会も兼ねているのだった。
スラヴ系の民族舞踊と音楽は、いつまでも鳴りやまなかった。
式場に一人のグリーンーベレーの男があらわれた。戦場での様子を聞こうと
話しかけたマイクルに、浴びせかけられた言葉は、「クソったれ」の一言だった。
男に殴りかかろうとするマイクル、それを止めるニックとスタン。
結婚式は佳境を迎え、スティーヴンと新婦アンジェラが赤いブドウ酒を飲み干す
儀式がおこなわれる。1滴も残さず飲み干せば、それは二人に幸福が訪れると
いうしるしなのだ。だが、アンジェラの衣装には、人知れずたった1滴のしずくが
たれていた。
式が終わると、残った仲間たちはマイクルを中心に最後の鹿狩りに出かけることになった。
クレアトンの町を囲むアレゲニー山脈。遊び場の少ないこの地方の若者たちにとって鹿狩り
は唯一の剌激だった。
なかでも、マイクルにとって鹿狩りは単なるゲームではなかった。彼にとっては偉大な鹿と
戦う一発必中の真剣勝負なのだ。だからマイクルにとって信頼できる鹿狩りの友はニック
しかいなかった。他の仲間は鹿狩りをお遊びとしか思っていなかったのだ。
最後かも知れない鹿狩りで、獲物をしとめたのは、マイクル1人だった。しかも1発だった。
舞台は変わって北ベトナム。すさまじい戦火をくぐり抜け、ベトコンと戦う一人のアメリカ兵士がいた。
マイクルである。泥まみれになったその顔の奥には、かってのあたたかい眼差しはなかった。
そののとき、米軍ヘリが近づいてきた。着陸したヘリからはニックとスティーヴンたち散人の兵士が
降り立った。二人はマイクルに気づくが、マイクルの表情は硬かった。ここは最激戦地で再会を
喜びあっている暇などはなかった。敵は、もう目と鼻の先まで来ていたからだ。
三人はベトコンの捕虜となった。川岸に木で組んだ小屋があり、三人はその床下の檻のなかに
閉じこめらる。檻のなかには、同胞の南ベトナムの兵士たちも混じってた。
敵の兵士たちは退屈をまぎらわすために、捕虜たちにロシアン・ルーレットをやらせて賭けていた。
ロシアン・ルーレットとは、リボルバーのなかに1発だけ弾丸をこめ、モれをテーブルの上でまわして
銃口の向いた者が自分のこめかみに銃を向けて引き金を引く、という死のゲームだ。
弾倉のどこに弾丸が入っているかわからない。もしも、空撃ちであれば、次の者に順番がまわっていく。
兵士の賭けた捕虜に弾丸が入っていれば、その者が賭け金を貰う権利があるのだ。
銃声があがるたびに、ヒクヒクと顔をひきつらせるスティーヴン。マイクルとニックが、発狂寸前の
彼をかろうじてとり押さえている。しかし、三人にもやがて順番はまわってきた。
マイクルは、イチかバチか勝負をかけることをニックに告げる。弾丸をよけいにこめてくれとベトコンの
兵士に願い出て、それで勝負にでようというのだ。自分たちがやられる可能性は高くなるが、もし万が一
すきに乗じてベトコンの兵士に銃を構えるチャソスがあれば、相手を倒す可能性も高くなるのだ。
チャンスはなかなか訪れなかった。ついにマイクルのところに順番がまわってきた。恐怖におののく
ニックを励ましながら、彼らはついにベトコン兵士のにすきをつき、マイクルはみごと敵をしとめた。
三人は、脱出に成功した。木につかまりながら、川を尻れる途中、米軍のヘリに発見され救助されたが
力つきたスティーヴンは川のなかへ落ちていった。あとを追うマイクル。ニックだけは、ヘリで運ばれていく。
三人は、そこで別れ別れとなった。
1年後、サイゴソの軍人病院を退院したニックは、昔の優しいニックでなかった。別人のように戦火の街を
さまよう彼は、恐怖と孤独のあまり、精神障害をきたし、完全に自己認識ができなくなっていたのだ。
自分の母親の生年月日すら思い出せないのだ。そんな彼が自分を見いだす方法は、闇で行なわれる
ロシアン・ルーレットだけしかなかった。
それから2年後、マイクルは、グリーン・ベレーとしてクレアトンの土を踏んだ。あの結婚式のときの
グリーン・ベレーの言葉が、いまはマイクルにも理解できるような気がした。
誰かにベトナムはどうだった?と聞かれれば、「クソったれ」としか言えない・・・・。
マイクルを町の仲間や友人たちはあたたかく迎えたが、もうマイクルから昔の明るさは消えていた。
今の彼には、戦場で生き別れになったスティーヴンとニックの消息が唯一の気がかりだった。
Posted by guide : 22:57 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲
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