ローマの休日 (4) 名監督ワイラー Roman Holiday

◆ローマの休日 (4) 名監督ワイラー Roman Holiday

  1953年 アメリカ映画 (モノクロ)

今なお、ロマンス映画の原点として輝く不朽の名作

◆ウィリアム・ワイラー 駄作を生まない名監督

willer2.jpg
【ウィリアム・ワイラー】

1902年7月1日生まれ

1936年 『孔雀夫人』を発表。
1937年 『デッドエンド』、
1939年 『嵐ヶ丘』、
1940年 『偽りの花園』
1942年 『ミニヴァー夫人』がアカデミー作品賞と監督賞を含む6部門を獲得。
1946年 『我等の生涯の最良の年』を発表
               再びアカデミー作品賞と監督賞をはじめ今度は7部門を獲得。
1949年 『女相続人』
1949年 『黄昏』
1949年 『探偵物語』
1953年 『ローマの休日』
1955年 『必死の逃亡者』
1956年 『友情ある説得』
1958年 『大いなる西部』
1959年 『ベン・ハー』空前の大ヒットを記録しただけでなく、
             アカデミー賞では作品賞を含む合計11部門を受賞してワイラーには
             三度目の監督賞が贈られた。
1961年 『噂の二人』
1965年 『コレクター』
1965年 『おしゃれ泥棒』
1968年 『ファニー・ガール』

アカデミー監督賞を3回受賞、ノミネート回数は12回に上るという偉大な
記録は未だに破られず、ハリウッド黄金期を支えた正統派監督として
文字通り「巨匠の中の巨匠」の名を欲しいままにした。

                                                      以上 参考 ウィキペディアより

駄作がまったくありません。もちろん興業的に失敗という作品は何作か
ありますが、それさえも作品としての調子は高いものばかりです。
これがワイラー監督の強みです。

約40年の長きに渡り、常に良質の作品を作り続けた監督はワイラーの
他にあまり思い当たりません。

しかも、常にその時代の空気に即応した鋭敏な感覚を持っていました。

◆良い監督の条件

芸術的題材であろうと、大衆的なテーマを扱おうと出来上がった作品が
面白くなければ映画として成功したとは言い難い。これが映画という
大衆芸術の難しいところです。

映画は、絵画、音楽、文学などの芸術と違い作品が生み出されるまでに
多額のお金がかかります。出来上がった作品がある程度商業ベースに
乗ってヒットしないと採算もとれず、映画資本家に大損をさせることになります。

この興行価値というのは、監督の生存条件の基本的な鉄則なのです。
1作ならまだしも、2作、3作と続けて興行的失敗をすれば映画資本家から
失格の烙印を押されてしまいます。

ワイラー監督は、自分の節度を崩すことなくこの厳しい生存条件を良質の
作品ばかりでクリアーしてきたのです。

まさに「巨匠のなかの巨匠」と呼べる大監督でした。

◆主なスタット、キャスト

スタッフ

監督・・・ウィリアム・ワイラー
製作・・・ウィリアム・ワイラー
脚本・・・イアン・マクレラン・ハンター
        (ダルトン・トランボ)
          当時、赤狩りと呼ばれる共産主義者排斥運動が行われていた。
          映画産業界はハリウッド・テンと呼ばれた人物たちがパージされ
          本作の脚本家であるダルトン・トランボもその一人だった。
          このため友人の脚本家イアン・ハンター名儀で参加をしていた
          ジョン・ダイトン
音楽・・・ジョルジュ・オーリック
撮影・・・アンリ・アルカン/フランク・F・プラナー

キャスト

オードリー・ヘップバーン・・・アン王女
グレゴリー・ペック・・・・・・ジョー・ブラッドレー 新聞記者
エディ・アルバート・・・・・・アーヴィング カメラマン

Posted by guide : 12:07 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲

ローマの休日 (3) 俳優たちのアンサンブル Roman Holiday

◆ローマの休日 (3) 俳優たちのアンサンブル Roman Holiday

  1953年 アメリカ映画 (モノクロ)

今なお、ロマンス映画の原点として輝く不朽の名作

◆新星 オードリー・ヘップバーン

夢のようなおとぎ話でありながら.ほのぽのとした感傷につつまれ
しっとりと心にしみいるこの作品は、優れた脚本と、ウィリアム・ワイラー監督の
演出と演技指導、そして新星オードリー・ヘップバーンの登場と、3拍子揃ったうえに
誕生しました。

なかでも、この映画は新星オードリー・ヘップバーンの登場なくしては考えられない
映画です。

roh-3.jpg
【初公開当時のポスター】

ウィリアム・ワイラー監督は、このヒロイン役に数回のオーディションをおこないましたが
気に入ったヒロインがなかなかみつかりませんでした。

そんな時、当時ブロードウェイで上演されていた「ジジ」の主役を務めていたオードリーの
話を耳にし、その演技を見てすぐにヒロインに決めたといいます。

当時、オードリーはアメリカ映画界でほとんど無名に近く、また、当時のグラマー女優
全盛の時代では、あまりに痩せすぎであるため危惧の声もあったそうですから、監督の
英断は冒険だったことでしょう。

しかし、オードリーは、立派にワイラーの期待に応えたのでした。

某国のやんごとなき王女様という役です。演技以前に王女らしい気品がもとめられるでしょう。
冒頭のニュースシーンで初めて登場するオードリーの気品は実にあっぱれでした。

ジョーの案内で、名所旧跡を訪れるオードリー。計算しつくされた良家の子女らしい
ファッションですが、そこはかとなく漂う品の良さは彼女の持つ資質であります。

◆グレゴリー・ペック

新聞記者ジョー役を演じたグレゴリー・ペックは、当時すでに大スターとしての地位に
ありました。しかし彼はどの作品に出てもその演技は常に一本調子であるため、一部から
「大根役者」と呼ばれていました。この映画でも彼はそのスタイルを崩してはおりません。

そのため、あまりに鮮烈なオードリーと比較されて、
「グレゴリー・ペックはこの作品でまったく演技をしていない」とまで酷評した批評家も
いました。

しかし、素朴で真面目なペックの個性はワイラー監督の狙いとピッタリあてはまって
いたことは間違いありません。

ジョーのアパートでのアンとの会話の優しさ、別れの車中でアンに
「私の行き先を見ないでくださいね。」と懇願され、うなずくジョーの素朴さ。

彼の個性なくしては、これほどのロマンティズムは生まれなかったでしょう。

有名な”真実の口” のエピソードで、ペックの手が挟まれて出なくなるシーンはあらかじめ
細工をしてあり、しかもそのことはオードリーには教えておかなかったそうです。
だからこそ、あのオードリーの驚きようはとても自然でした。

audreyro12.jpg
【真実の口 オードリーの自然な演技が素晴らしい】

◆エディ・アルバート

グレゴリー・ペックの素朴な演技と対照的だったのが、カメラマン アーヴィンク゛を
演じたエディ・アルバート。ノンシャランで軽妙洒脱なカメラマンを実に巧みに
表現していました。もうけ役で、ラストの記者会見でアン王女にそっと写真の封筒を
渡すときの雰囲気など絶妙でした。

audreyro11.jpg
【ラストの記者会見、最後の別れをかわすジョーとアン】

Posted by guide : 11:38 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲

ローマの休日 (2) 見どころ Roman Holiday

◆ローマの休日 (2) 見どころ Roman Holiday

  1953年 アメリカ映画 (モノクロ)

今なお、ロマンス映画の原点として輝く不朽の名作

◆脚本の妙味

さわやかで軽妙、ユーモラスとペーソスが絶妙にブレンドされた極上のカクテル。
ロマンティック映画を思い出すとき、真っ先に思い浮かぶ傑作。

特殊な環境に住む人と、ごく普通の人が恋に落ちたらどうなるのか、という
シチュエーションは、ロマンス映画にはかかせない定番として存在します。

古くは「うたかたの恋」、比較的新しいところでは、「プリティー・ウーマン」、
「ノッティングヒルの恋人」などもそのシチュエーションの作品です。

「ローマの休日」は、こういったシチュエーションの最上作であり、ラブロマンスの
原点といえる作品なのです。

イアン・マクラレン・ハンター
(後に名脚本家ダルトン・トランボのペンネームだったことが判明する)の
書いた脚本は、まったく無駄がありません。118分と短めのドラマが
テンポよく進んでいくあたりは、まさに脚本の教科書として後々にまで
影響を与えたのです。

(同年のアカデミー最優秀脚本賞を受賞)

◆観光映画としての役割

世界映画史をひもといてみると、第二次大戦後にイタリアは多数の傑出した
映画監督を世に送りました。

ロッセリーニ、デ・シーカ、フェリーニ、ピエトロ・ジェルミなどの名監督達は
それぞれ独特の作風で、イタリア映画界を一気に世界映画の頂点にのし
あげたのです。

これが、ネオ・レアリスモ、イタリアン・リアリズムと呼ばれた潮流でした。

しかし、これら監督の作品に登場するイタリアやローマは、その底辺に
うごめく、貧しい人たちが主役だったこともあり、少なくとも芸術の都、
永遠の都としてのローマではなかったのです。

日本をはじめ全世界に、ローマを永遠の都として初めて紹介したのが、「ローマの休日」
だったのです。

roma-1.jpg
【ポスター用に撮影されたスクーターの二人乗り】

古都ローマの偉大さは、とても、この映画1作で描きつくせるものではありませんでした。
しかし、ローマの名所旧跡をこれほど紹介してくれたのはやはり「ローマの休日」が
最初だったろうと思うのです。

なかでも、ひときわ有名になっのが、アン王女がアイスクリームを食べるシーンでの
スペイン広場でしょう。この映画以降、重要なローマの観光スポットになったのです。

roma-2.jpg
【スペイン広場にてアイスクリームを食べる有名なシーン】

ローマの休日 (3) に続く

Posted by guide : 22:44 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲

ローマの休日 Roman Holiday (1) あらすじ

◆ローマの休日 (1) Roman Holiday

  1953年 アメリカ映画 (モノクロ)

今なお、ロマンス映画の原点として輝く不朽の名作

◆ストーリー

  ヨーロッパ各地を親善訪間中のある国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は
いまはローマの大使館にご滞在中。あまりの過密スケジュールに王女は少し
ヒステリック気味。おつきの者の顔を見るのもうんざりしていた。

   窓からは、ローマ市内の華やいだ雰囲気を覗いた王女は鎮静剤を飲み
眠ったふりをして、大使館をこっそり抜け出した。

   抜け出してみたものの、場所もわからず、そのうちま鎮静剤がききはじめて
通りのベンチでうとうとしはじめる。

   そこを通りかかったのが,アメリカの新聞社のローマ支局につとめる
ジョー・ブラットリー(グレゴリー・ペック)。

   身なりは良家の子女らしいが、こんなところで酔っ払って寝てるなんてと
いささかあきれたものの、まさかここにほったらかしにしておくわけにいかない。
さりとて住所もわからず、仕方なしに自分の下宿へ連れて行き1晩寝かせた。

  翌朝,ジョーが社へ行ってみると,王女が病気になり行事を欠席するとの記事
しかも、一方では失踪して大騒動になっているとの情報もありという噂。

   王女の写真を見たジョーは、さては夕べのあの娘が王女であると気づきこれは
特ダネとばかりに大はりきりで計画を考える。

   相棒のカメラマン、アーヴィング(エディー・アルバート)と打合せの上、下宿へ
とってかえすと、もう帰らなければと言うアン王女。
少しだけお金を貸してくれませんかという王女にお金を渡すジョー。

彼は王女のあとをこっそりつけて行った。

   王女は美容院にはいって、自慢の長い髪をバッサリ、カットしショート・カットに
してもらった。美容師マリオ(パオロ・カルソーニ)は,彼女を気に入りその夜に
開かれる船上ダンスパーティーに彼女を誘う。

   ジョーは,美容院を出てきた王女が広場でアイスクリームを食べているのを
見て、さま偶然また会ったようによそおう。ジョーは王女を誘って、カフェへ。

roh-1.jpg
【スペイン広場でジョーとの再会を喜ぶアン王女】

   おたがい身分を明かさず,嘘の会話をつづけるところへ,アーヴィングが
あらわれて,ライターに仕込まれた小型カメラで、気づかれないように
パチリ、パチリとシャッターを切りはじめる。

   ジョーは王女を案内してローマの名所見物をはじめる。アーヴィングは
いたるところへあらわれてシャッターを切る。”真実の口” 、”祈りの壁” と
ジョーと一緒に行動するうちに、王女にはジョーに対する恋心が芽生えていた。

   ジョーもそれは同様だった。、仕事も、身分も忘れ、楽しく遊ぴまわる二人。
王女は相乗りしたスクーターを一人で運転、市場中を引っ掻き回して警察
行きとなる。

   ジョーが、署長に内緒で記者の証明書を見せて釈放されたころには夜に
なっていた。王女はマリオとの約束を思い出し,河岸の船上舞踏会場へ。

roh-2.jpg
【船上ダンスパーティーで踊るジョーとアン】

   そこへ、王女の国の諜報部員たちが現われ王女を連れて行こうとする。
そうとは知らぬジョーは、大乱闘を開始し,市民たちや王女まで加わって
てんやわんやの大騒動となってしまう。

   ジョーが河へ落とされると、とっさに王女も河へ飛びこみ,諜報部員の
目をくらまして,暗い対岸に泳ぎつく。ぶるぶる震える王女をジョーは
愛おしさのあまり抱きしめてしまう。でも、もう戻らなくてはならない王女。

ふたりは、とうとう身分を明かさぬまま、接吻しそして明け方別れた。

   ジョーは、愛する王女のために特ダネをあきらめる。相棒のアーヴィングは
怒って返ってしまう。

   病気が回復されたので帰国することになったとされる王女の記者会見の
席上、記者の中にジョーを見つけ悲しみのあまり泣きそうになるアン王女。

   大丈夫だよと、目で合図するジョーに王女は感謝の眼差しで応えた。
記者の質問に答える王女。ある記者が質問する。

「今まで訪問した国で一番印象に残った国は?」

「ローマです。断然ローマです。私はこの国を訪れたことを生涯
 忘れることはないでしょう。」と答えるアン王女。

   じっと瞳を見つめあう二人。王女は異例にも列席の記者たちと握手を
したいと記者たちの前に歩み出る。

最後のお別れね、目と目で別れを告げて握手するジョーとアン。

roh-4.jpg
【記者会見でジョーに最後の笑みを贈るアン王女】

    アーヴィングが、ローマ訪問の記念写真ですと差し出した封筒には
王女がギターで諜報部員を殴った写真をはじめ、数々のスナップ写真が
入れられていた。

Posted by guide : 17:14 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲

ある愛の詩 Love Story

◆ある愛の詩 Love Story

   1970年 アメリカ映画(カラー)

筋立ては明らかに古典的なメロドラマを踏襲したもの。
以外に、脚本も粗く、映画としての完成度もけっして
高いものとはいえません。

でも、当時久しぶりに作られたメロドラマということで
空前の大ヒットとなった作品。

「愛とは決して後悔しないこと。」というセリフが流行語までに
なりました。
lovestory.jpg

◆ストーリー

若い弁護士オリヴァーは、ニューヨークのセントラル・パーク・スケートリンクの
観覧席で、最愛の妻ジェニーとの出会いのことを思い出していた。

大学生のオリヴァーがはじめてジェニーに会ったのは、大学の図書館だった。
彼女はそこでアルバイトをしていた女子大生。お互いの身の上はあまりにも
かけ離れていたが、かえってそれが新鮮に感じられた二人だった。

オリヴァーは名家の4世で、アイスホッケーが趣味のお坊ちゃん。
ジェニーはイタリア系移民の菓子屋の娘だ。

ジェニーは彼のアイスホッケーの試合の応援にゆき、オリヴァーは彼女が熱中
しているバロック音楽の演奏を聞きにいった。

ふと気がついたとき、二人はもう深い恋のとりこになっていた。

ある日ジェニーはフランスヘ行って音楽の勉強をしたいと突然言い出して
オリヴァーを驚かせた。これだけお互いの身の上が違えばこの恋がいつか
悲劇に終わるであろうことを予知して、それを避けようとしたための決断であった。

しかしオリヴァーはジェニーのそんな思惑など問題にせず、彼女にプロポーズするのだった。
楽しい毎日だった。

やがてオリヴァーは優秀な成績で卒業、ニューヨークに居を構えた。
やっと二人に訪れた幸福・・・・・。

◆見どころ

ニュー・シネマ以後のアメリカ映画は、純愛に対する一種の不信が
主流をなしていました。ベトナム戦争の後遺症により愛をすら信じることの
できない、そんな映画ばかりだったのです。それが病めるアメリカの一現象で
あったのでしょうが、正直暗い人生観がただよう映画ばかりでした。

でも、やはりアメリカの大衆も、やはり純愛の尊さ、すばらしさを描いた物語や
映画に飢えていたのでしょう。

エリック・シーガルの小説がベストセラーになったあと、映画もまた興行成績の
歴史を塗り替えるほどの大ヒットを示しました。

◆主なスタッフとキャスト

監督・・・・アーサー・ヒラー
製作・・・・ハワード・G・ミンスキー
脚本・・・・エリック・シーガル
撮影・・・・リチャード・クラティナ
音楽・・・・フランシス・レイ

出演
アリ・マッグロー・・・・ジェニー
ライアン・オニール・・・オリヴァー
レイ・ミランド・・・・・オリヴァーの父
ジョン・マーレイ・・・・ジェニーの父

Posted by guide : 18:18 | Comments (0) | Trackbacks (0) | Page Top ▲